Shaman
- ikemen Ude
- 2021年11月2日
- 読了時間: 2分
やっぱり、友達と話したくなる時が時々来て今日もながらくお世話になってしまった。一人で考えてても浮かんでこない自分の言葉が、会話の中だと生まれてくる。言ってみて初めて、自分てそう思ってたんだと気づくことさえある。今日の最後の締めは、私の最終形態の予想は、僧侶か、動物と戯れるナチュラリストか、shamanであるということ。多分これ、しのちゃんじゃなかったら若干引く流れにもなりかねない。そんなこんなで、私の周りにはこんなイメージを最も簡単に受け入れられてしまう人が多いらしい。
そんな最終形態を笑いながら考えながも、この頃自分に必要だと感じるのは、未来志向である。西洋哲学の考え方として、普遍化された、過去→現在→未来に対抗するものをこの頃知ったのだ。それは、東洋のアビダルマ哲学からなる、未来→現在→過去という流れを提唱するものである。未来を設定し、その未来への行動からなる自分が、過去がそんなものだったのかを決めるのだという。
この一年で、言われたのは現代において状況はいくらでも変わるから、目標を設定しなくてもいいんじゃないかという考え方。組織や集団においての柔軟性を保つためのそれはなんとなく腑に落ちるのだが、個人として目標がないのはなんともやる気が起きない。
自分の言い続けたことは叶うと数々の人が言っている。
とりあえず、ここ1ヶ月ほどで考えてみてここにかか書かせてもらおうと思う。それが続くかどうかはさておき、そんなものがなければ、いつまでも漂流し続けてしまうようで怖くなっているのかも知れない。
散歩がてらに、脂ギッシュ朝ごはんを食らう

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