Kebahagiaan
- ikemen Ude
- 2021年11月19日
- 読了時間: 2分
岡本太郎さんの本を読んで、気付かされる問を見つけた。人生が終わった時に、幸せだったと一生を振り返りたいのか、生きた!と振り返りたいのか。これは、何も正解なんてなくて、人ぞれぞれだし、この二つを両立することも可能であろう。そもそも、こんな問に迷うことができるのは自分が恵まれているからであるということを自覚しておきたい。
その上で、私は生きた!という歓喜の繰り返しによって人生を振り返りたいと思ったのである。それは、きっと今の自分が心持ち次第で幸せを感じられるような状況にいるからかもしれない。自分自身に変化をもたらさなくとも幸福を感じることが今はきっと素晴らしいものだろう。
しかし、自分に負荷をかけて手に入れた歓喜はいくばくかの余韻を感じられるものであろう。最近は、課題やテストで窮屈な時もあるが、それを仕上げた時のちょっとした達成感は自分にとって有意義なことである。その一方で、なんとなく過ごしている時間を振り返る日がくるかと言われると大きな声ではYesが言えないのである。
ここから2週間は最終試験に向けて、試験祭りが始まるわけだが、その後に待ち受ける歓喜を手にするためにも、やれることをやっていこうと思う。ベッドに寝転がりながら、別の本を片手にこの3ヶ月の授業を過ごしてきた自分が憎らしい部分はあるが、焦りからの開放のために頑張りをとっておいたというポジティブ思考でこの2週間を乗り切っていきたい。
この頃は、夜の散歩にハマっている。いつか友達が言っていた夜の方が好きという意見に対して、経験を持って賛成できそうな気がする。誰もいない道路と少しひんやりした空気感で聴く音楽は、なんともクセになるものである。





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