Caste
- ikemen Ude
- 2021年11月16日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年11月17日
自分が自分からの視点でしか物事を見ていなかったことに気付かされる。カーストもそのひとつであった。生まれてきた時から身分が決まっているなんて、ものすごい差別主義な宗教があったものだとヒンドゥー教におけるカースト制を軽視していた。
実は、このカースト制が生じたのも単なる差別主義からではなく。人々を守るための手段であったということが挙げられる。この方法が今の時代にもあっているかというと疑わしいところはあるが、始まりとしては平和のためであるということを理解することで、ヒンドゥー教への偏見が少し溶けた気がする。
カースト制を理解する上で、必要なのが奴隷制の所以である。奴隷制は、主人や勝国が人をものとして扱い、身の回りの手伝いをさせたり、時には売買のなかで商品として扱っていた時のことをいう。彼らには、自由もなければ、家族と一緒にいることもできないという、人間としての尊厳の一つもない状態であった。
一方で、カースト制は五つの分類に分けられ、それぞれの分類に役割や職業が与えられていて、人々は生まれながらにしてそこに従事することが決定されている。さらに、同じカーストの人となら結婚の自由を許され、家族ともともに生きることができる。しかし、その分類に反したものは、アウトカーストと言って、カーストにも入らせてもらえない、人間以下の扱いを受けることになる。
この方式を取り入れることで、互いの領域を守ることができるため、無駄な争いが生まれずに平和に暮らせる。そんな考えを知らないまま一概に否定することはできない気がする。
どんな敷きたりにも、習慣にもそれなりの意味や理由があるんだ。情報が溢れる時代と言われているが、その情報は牛乳の膜くらい薄っぺらくて表面的なものなのかもしれない。
本当を語ろうと思うのならば、そのことを知ろうとする義務がある。
写真は、ボートで蛍を見に行った時の様子である。入口はディズニーランドのジャングルクルーズを思わせるワクワク感を感じさせてくれた。まさか人生初ホタルをマレーシアで見て感動することとなるとは。後ろのおじさんが一生”クリスマスツリーみたい!!”とはしゃいでいて可愛かった。

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