Beef and Cow
- ikemen Ude
- 2021年12月3日
- 読了時間: 2分
地元の店に1人で入り込める事になったのは、自分も大したもんだ。そこらじゅうにものが散らかっていたり、誰が店員なのかわからないその場所は、積極的注文を求められる。ここにいるよ!!というアピールをしなければ、注文どころかメニューすら見ることができない。新しい接客スタイルを学んだ。しかし、ちょっとしたカフェで高い飲み物を飲むよりも、ここでの70円のロティチーズが私には満足感を与えてくれるのである。
ところで話は、肉に対してである。この頃、アニマルライツの人々の声を聞く機会がある。そして、その多くはヴィーガンである。ヴィーガンの利点を知っている私はそれを鵜呑みにする事もできるのだが、ここでは肉に真剣に向き合ってみる。
日本語では、牛肉、豚肉、鶏肉とその肉がどこの生物からきたのかが明白である。一方で、英語ではbeef, pork, chicken と独自の単語名を有している。間違っても、cow meat, pig meet, bird meetなど言わないだろ。しかし、この肉特有の単語が生まれた軌跡を勝手に予想すると、どこかしらで食べることと殺傷する事が離して考えられるようになった事が言える。
私達は、本当の意味で生命の儚さを知らなくなってしまった気がする。現に、アニマルライツを叫び出すのは多くの都市生活者である。当たり前に加工済みの肉を食べている私達は、いとも簡単に食肉処理を否定する事ができるのである。そして、自らが残酷な現実を目にしていなかったからといって、その現実を真っ向から否定するか、他方に受け流すかしかできなくなってしまったのだ。
一度は、ヴィーガンを試みた事もあるが、やはり肉はおいしい。私には、今までの自分の食習慣を180度変えることは難しい。ただ、私達の口に届くものがどこかで命を捧げているという事を心のどこかにしまっておきたいと切実に思う。
マレーシアのビルは、日本のよりも飲みやすい

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