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Cube.

​ 人間は多面的だと思う。僕みたいなタイプは特にそうで、家族の前、友達の前、恋人の前、見知らぬ人の前、鏡の前、それぞれで表に出てくる顔が違う。共通しているのは衝突を好まないことくらいで、軽口の度合いや話のトーン、言葉遣い、目を見る頻度、体の距離など別人と言ってもいいほど異なっている。

 思い返せば少年時代に興味のあること、面白いことに首をつっこみ、飽きたらすぐやめるを繰り返した結果どこに行っても馴染む顔を自然に出すようになったのかもしれない。

 ただ最近、そのことについて壁が見えてきた。ある程度のことに対応できたその顔のチャンネルに対応していない場面が増えてきたのだ。あくまで学校社会の中で作り上げてきたそれは社会には上手く馴染まないようで、どうも委縮してしまう。

 解決しようと自分の核の部分から派生させて新たな顔を作ろうとしてみたが結果はうまくいかなかった。

 なぜなら自分には確かな核があるわけではないからだ。これまで経験してきたことに示した反応が混ざり合ってそれぞれの顔になっている。人間は外部からの刺激がなければ内から何かが湧き上がることはないのだろう。

 きっと多面的なのは自分だけではない。誰かの一面が誰かの一面に影響を与えていて、ピッタリはまれば心地いいと感じるのかな。

 先日実家に帰った時、親の言葉で思わず涙がこぼれそうになった。愛を感じたとか、怒られなくてよかったとかそういうものではなくて、自分にとって特別な何かに触れた気がしたからだ。あの時の僕の心はひどく無防備だったと思う。これまでの自分にはなかった反応だったので、どうしてしまったんだと、自分を見失った気がしたが、しばらく出していなかっただけでこれが本来の自分なのかもしれないと思った。いや、これも僕という人間の一面に過ぎない。

 家族に会いたい自分も家族に会いたくない自分も矛盾なくそこに存在できるのは僕が人間で多面的だからだろう。

 画面の前のお前もだぞ。俺のこんな文章読んでなんだこれと思っただろ。これが俺のお前にとっての新たな一面だ。そしてこれを読んで浮かび上がってきた文章への感想、俺への対応、お前の表情、それがお前の新たな一面だ。

 さて、一番棘のない一面に戻るとするかな。

 僕のことは忘れて下さい。

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