top of page

Beauty and...

 お久しぶりです。最後に自分のページで投稿したのがいつだったのか思い出せないくらい前だったことに驚いています。そして、クリスマス特集の冒頭でシノちゃんに頂いた誕生日おめでとうにここで応えておきます。ありがとう。僕は嬉しいです。
 さて、今回は「美しさ」について書こうかな。日々生きていて美しさについて思ったことがあったからだ。
 見た目が良い。誰もが憧れたことがあるのではなかろうか。顔、スタイル、容姿が整っているだけで得られる恩恵は多いからだ。第一印象で好感を得られる、メイクもお手本通りに施せば狙った効果が得られ、服はなんでも似合ってしまう、スポーツをしても、楽器を弾いても、読書をしても、街を歩いてもそれだけで絵になる。まさに主人公、注目の的だ。
 だが得られるものの反面、得すぎてしまうのではないだろうか。
 友人と銭湯に行った時の話だ。なんてことないチェーンのスーパー銭湯に行った際、受付がお姉さんだった。恐らく同い年くらいだろう。そのお姉さんは綺麗な人だった。僕と友人は受付を済ませて脱衣所に入ったときに、受付のお姉さん可愛かったねと当たり前に会話をしたのだ。その会話には名札に書いてあった名前すら当然のように登場した。
 ここまで読んで少しぞっとしなかっただろうか。恐らくアルバイトである彼女は淡々と業務をこなしていただけなのに、数分後に見ず知らずの人間の話題の中心になり、名前まで記憶されている。彼女は僕たちのことを何も知らないのに物の数分で僕たちは彼女を恐ろしく観察している。どれもこれも発端は彼女の見た目が良かったからだ。
 皆さんは『バナナフィッシュ』をご存知だろうか。J.D.サリンジャーの小説に登場する見ると死にたくなる魚、ではなく日本の漫画である。大都会ニューヨークを舞台にギャンググループのボス、アッシュリンクスとそのアッシュへの取材の手伝いで日本からやってきた大学生、奥村英二の出会いからその後を描いた作品だ。
 この作品で、主人公のアッシュは他の追随を許さない容姿と才能に恵まれているのだが、巻き込まれるトラブルは全てこれが原因であった。作中で僕の記憶に残っているセリフがある。それは新たな一手を得るためにターゲットの経営しているゲイバーに行った際、マックスというジャーナリストがアッシュに放った一言だった。席を外していたアッシュが戻ってきた時にマックスは「女の気持ちがわかったよ。セックスの的にされるってのはえれぇプレッシャーだ。」と言った。これに対しアッシュは「尻を撫でられただけだろう。俺なんて道を歩いていただけでレイプされそうになったことが何度もあるんだぜ。」と返した。このマックスのセリフに美しさとは何かの本質が詰まっていると思う。
 全ての美しい人たちは生きているだけなのだ。美しさは受け手が感じるものであって触れていいものではないのだ。道を歩けば欲を満たすためにナンパをされ、意識していなくても僻まれる。まるで作品のように観られ、触れられる。
 僕は小林私というシンガーソングライターが好きだ。彼は端正な見た目をしているのだが、ある日の生配信で自身の見た目に触れたコメントに対して、「好きで顔良く生まれたわけではない。」と言っていた。
 街を歩いていて思わず振り返ってしまうような人も、ただ働いているだけで話題に上がる人も、フィクションの中の主人公も、シンガーソングライターも、生きているだけ。平等に与えられた自分の生を全うしているだけ。僕たちと同じように選ぶことの許されなかった、与えられたカードを切っているだけだ。
 俳優も女優も、美しさに目を付けられなければ、世間に好きな人と共にいるだけで騒がれることもなく、肌を晒すこともなかっただろう。
 美しい人たちは僕たちにそれを与えてくれる一方で、いや、僕たちはそれを食い物にしている。
 美しさは易々と人の心に入り込む。当人が望んでいなくても。美しさとは酷く一方的なものだ。心に入り込んできたからと言って、入り込まれた側が相手の心に入り込んで良い理由にはならない。得ていたはずが奪われている。
 美しさは呪いだ。

Please contact us with your message!

メッセージが送信されました。

© 2023 トレイン・オブ・ソート Wix.comを使って作成されました

bottom of page