#01 文化の違いは一長一短
人生初の異国の地に住んで1ヶ月経って思ったことがある。
それは、ここの国の人たちは、「どんなことでも、自分の意見で物事を判断し、周りにも主張できる」ということだ。決して彼らは、周りに合わせようとしない。
たとえば、「コロナワクチンを信じていないから、打たない」という人がここドイツでは意外と多くいるのだ。日本では考えられないことであると思う。なぜなら日本には同調圧力の文化があり、少数派は多数派によって淘汰されてしまうからだ。いやもちろん、コロナワクチンを接種したくない日本人も一定数いると思うが、周りから変な目で見られ忌避されてしまうため、そのことを周りに主張できる人は少ないと思う。
「ドイツ人は日本人に似ている」このことはよく昔から言われてきたが、私はそう思わない。確かに、時間厳守だったり、ルールをしっかり守ることは日本人と似ていると思う。しかし、自分の意見を持ち、それを恥ずかしがらずに主張できることに関しては日本人と大きく違うと思う。これは地理的に見て島国かそうでないかという差が一因としてあるだろう。日本は島国だから、争いを好まず、なるべく平和的に解決することが常である。そのため日本人には空気や雰囲気を感じ取る能力が「0を書くときは必ず反時計回りに書く」ことと同じくらい元から備わっている。中には空気を読めない人もいるが、そのような人たちも「私って空気読めないからさ〜」などと空気を読めないことを自覚している時点で少なくとも「空気を感じ取る能力」は持っているのだ。
ドイツは昔から様々な国と争ってきたからか、平和的に解決するよりも自分の意見を周りに主張することが常である。だから彼らは、日本人のように空気を読む能力はない。「ない」と言い切るのは間違っているかもしれないが言い切りたくなるほど日本人の性格とは異なると主張したいのである。相手の会話中であっても疑問に思うことはすぐ聞くし、自分たちの給料の賃上げを要求したいがために周りに迷惑をかけてでも上司に対してデモを起こすことさえある。実際ドイツでは、鉄道会社の社員が休養と給料の賃上げを上司に要求する時は「電車を一日中走らせない」というストライキが行われている。驚くべきことにこのことを電車を利用している人たちは、認めているのだ。
利用者が認めているということは、彼らは自分の意見を主張するだけではなく、相手の意見も認めているということだ。日本人には「相手の意見を認める能力」はあっても、「自分の意見を主張できる能力」は少ないであろう。なぜなら先にも述べたように日本人には「空気を読む」ことが元から備わっているからだ。だからこのようなデモを起こすことさえ出来ない。周りも認めてくれないであろうし、自分も争いを起こしたくないからだ。
このように述べると、私が日本人を咎めているように思われるが、そうではない。どちらの国も表面的には似ているが、根本的にドイツ人と日本人には大きな差があると言いたいのである。日本人はこのような性格だからこそ独自の文化が発展してきたと思うし、その文化が海外で評価されてもいる。
ドイツ人は逆にこのような性格のあまり、現在コロナの感染者が莫大的に増え続けている。にも関わらず、「自分が遊びたいから」という理由で金曜の夜にはパーティが至る所で開催されている。つまり両国とも一長一短なのだと気づいた。この気づきは日本に帰っても大事にしたいと思う。


